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文/植木 務(上越市大島区田麦在住)

ふるさと回帰フェア2007「ふるさと暮らしの成功例・失敗例」 07.10.06

<はじめに>
私は現在70歳、移住した時は会社定年直後の60歳でした。当時関西の鉄鋼会社に勤めており住居は芦屋市・神戸の隣で、今から12年前のあの阪神淡路大震災で高速道路が横倒しになった場所の近くであります(我が家も「半壊」)。

<田麦の紹介>
私の移住先、即ち現在地は、新潟県上越市大島区・・・という所であります。移住当時の呼び方では、新潟県東頚城郡大島村大字田麦小字上村でした。この方が住所を聞いただけで何となく片田舎というイメージが湧く事でしょう。住所表記が変った以前も今も全く同じ場所で雰囲気も変っておりません。行政上は「村」の呼称はなくなりましたが、私は自分の好みでこの言葉が気に入っており、時に口を突いて出て参ります。こちらは大島区板山集落の町内会長・小山章喜さんです。地域への10家族/15人の移住者支援の中心的存在の方です。今日は御質問があれば、受入れ側としての責任ある、お応えが出来ます。

<県の紹介>
新潟県は、豊な自然を背景に、都市部との交流に熱心な所と思います。
「国立・妙高青少年自然の家」が長野県境近くにあり、体験学習など年間12万人を受け入れています。県レベルでは移住応援のため「にいがた田舎暮らし推進協議会」があり、小山さんは会社経営の傍らそこの役員かつ「見学ツアー」の コーデイネーター・・をされています。更に、旧6町村連携の「越後田舎体験推進協議会」もあり、「本物体験」を提供。こちらは主に短期交流の受け入れ。現在いわゆる年間「万泊億円」の規模であります。

<動機>
定年を間近かに控えた頃は、3人の息子達は既に独立していました。元々地方出身の私は、定年後は都会を離れ自然豊かな閑静な地で余生を楽しみたいと切に願う様になり、その3年前よりボチボチと準備を始めました。

<経緯>
偶々芦屋に居てTVで大島村のPR番組を見た直後、村役場に手紙を書きました。
折返し丁重な返信を貰いました。家内と現地下見をしました。役場の助言により冬の残雪の多い時期にも尋ねました。多少の雪なら怖くはないと不遜にも高を括り、それよりも四六時中都会で悩まされてきた車騒音と排気ガスから逃れられ、加えてこの地独特の褶曲山脈の山並みの美しさと、混交林の木々の緑の豊かさとが大変気に入りました。今でもそうですが大島村の キャッチフレーズ は二つ「日本のチロルと音楽村」である事もこの段階で知りました。
移住を決意し定年までの3年間色んな準備をしました。
神戸郊外で有機農業講座や福知山での森林講座を受け、運転免許を家内と二人取り、ヨーロッパの本場のチロル の旅をし、一方田麦では事前に空き家を購入して、リフォームを進めました。そして定年になった直後、家内と二人で移籍・移住を致しました。

<都市の生活>
変動の激しかった高度成長期に関西に就職した私は、40年間に10回の転居を余儀なくされました。それだけ近隣との交流も稀薄だった訳ですが、稀薄の原因はそれでなく、一般的な風潮であったと思います。人口の多い都市生活では個人主義的傾向が普通で、それゆえ他人への不干渉がマナーであったと感じています。

<田麦の生活>
それに引き換え田舎は協働(共同)社会です。村や隣組集会も多く、生活道路や学校校庭の草刈作業は定例行事であり、「茶まえ」と言って早朝5時の集落総出の作業も年に何回かあります。併せて近隣関係は極めて濃密かつ重層的です。
移住当初は思いもしなかったこの ギャップに、違和感と心労を覚えました。
また冬の田麦は日本有数の「豪雪地」の一つです。通常最多積雪深が3mを超えなければ感覚的には大雪とは言わないでしょう。それでも生活に支障はありません。
県主管の大型機械による道路除雪は真夜中の3時から始まり早朝7時までには村内末端まで自動車通行が可能になります。国道は24時間除雪体制が敷かれています。
移住当初の5年間は村内の森林組合に再就職し、その退職後は各所からの声掛けで今でも不特定の アルバイトをやっています。
日常の買い物に多少の不便は感じるものの、今の所「多自然居住」とも言うべき田麦の居住環境に極めて「満足」しております。標高350mの地にある我家の直ぐ裏は、県内有数の広大なブナ林の林縁にあたり、野鳥が囀り姿も見せて呉れます。
家内は200坪ほどの畑を自分の牙城にして家庭菜園に日々余念がなく、四季折々の花も植え育て、楽しんでいます。

<移住への提言>
移住成功の為には「受け入れ側」と「移住者」の2つの側面があると思います。「受け入れ側」は、都市の多様な生活背景をもち、原風景への憧憬・ふるさと回帰心理を抱擁する移住者心情への理解、及び日常の具体的な困難事を長期にわたり助言支援できる「面倒見の良さ」の体勢が大切と思います。
一方「移住者」は、幾世代に亘り国民の食料の基幹を支え、環境を保全管理してきた、地域の歴史と文化への敬意を忘れず、移住後の自分の生活の場としての地域に溶け込む心構えが肝要と思います。「両者に共通する要点」は、互いの背負う「文化の違い」を認識する事でありましょう。
皆様が、移住地での土地や建物の購入などに当たっては、「その土地の人々」と充分に相談する事を、特にお薦めします。移住後には地域の役員(協議会長、町内会長 ・・・ )や近隣と随所で、集落の一員としての交わりを深める事が期待され、孤高篭城タイプは歓迎されない、と心得るべきでしょう。
狭い日本の中でも都市と田舎とでは生活慣習が思いの外、異なります。私はこれを「文化の違い」と解釈しています。文化には元来「善悪・比較優劣」がありません。あるのは「ルール」です。
古くからの言葉「郷に入ったら郷に従え」は、味わい深い古老の訓戒の感が致します。田舎暮らしのルールは、これに尽きるのではないかと私は思っています。

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